10月4日のフジ系「TOKIOカケル」にゲスト出演した嵐の松本潤が、嵐結成時にジャニーズを辞めようと思っていたメンバーを明かした。
1999年9月に結成され、同年11月にCDデビューした嵐。
9月の正式的な結成前、“嵐”というグループが形作られていく中で、実はジャニーズから身を引こうを思っていたメンバーが3人いた、と松本は言うのだ。
嵐結成までの道のりは次の通り。まず、当時ジャニーズJr.だった松本と二宮和也が新規グループ発足の中心にいた。そこに櫻井翔が足され、更にレコーディングをするという段階になって大野智が加えられる。
その時点で、大野はジャニーズからの引退を考えていたそうだ。
松本は「最初、リーダーは“(ジャニーズを)辞めよう”と思ってたんで。『レコーディング手伝ってくれ』って言われて、現場行ったら“大野ソロパート”って書いてあって、“これ、やばいな”ってあの人は思ったらしい」と語る。
大野には腹の中で“辞めよう”という意志がありつつ、大ごととは知らずにレコーディングに参加したところ、自分が重責を担っていることに困惑したようだ。“このままだと、辞めるに辞められなくなりそうだ…”とどこかで感じたのだろうか。
松本によると「(大野は)レコーディングは『来ちゃったから、やる』って言って、やったんですけど。そこから2週間ぐらい、携帯も家の電話も全部出なかったらしい」とのこと。
ジャニーズJr.ということで、誰しもCDデビューを夢に描いているのかと思われがちだが、Jr.として芸能界の厳しさを知りつつ年齢的にも多感な時期であるため、夢いっぱいの物語というわけにはいかないらしい。大野は二週間ばかり音信不通になるという強硬手段に出て訴えたようだが、最終的には流れに身を任せて嵐に加わるということになったようだ。
嵐といえば99年にハワイのクルーズ船でおこなった結成会見が印象的だが、その船上で“どうして、こうなっちゃったのかなぁ…”というメンバーは大野の他にもう二人いたという。
松本は「ハワイで結成会見するんですけど、そのときのハワイ行ってる5人中3人が辞めたいんですよ。リーダーと櫻井、二宮。3人が辞めたかったんです」と続けた。
松本によると「櫻井は“これぐらいまでやったら、いいかな”と思ってて。大学に上がるタイミングかなんかだったから、“もう、ここで辞めようかな”と思ってて」、「ニノは“海外行きたい”って言ってて」とのことで、学業に専念したい櫻井と、世界を見たいという二宮はジャニーズとしての活動に否定的だったようだ。
ハワイのクルーズ船の上で発足した“嵐”という“乗り掛かった船”に最終的には身を任せることになった5人。現在、その航海が国民の関心事になっていることは、ご存知の通りである。
1999年9月に結成され、同年11月にCDデビューした嵐。
9月の正式的な結成前、“嵐”というグループが形作られていく中で、実はジャニーズから身を引こうを思っていたメンバーが3人いた、と松本は言うのだ。
嵐結成までの道のりは次の通り。まず、当時ジャニーズJr.だった松本と二宮和也が新規グループ発足の中心にいた。そこに櫻井翔が足され、更にレコーディングをするという段階になって大野智が加えられる。
辞めたくて音信不通になった大野
その時点で、大野はジャニーズからの引退を考えていたそうだ。
松本は「最初、リーダーは“(ジャニーズを)辞めよう”と思ってたんで。『レコーディング手伝ってくれ』って言われて、現場行ったら“大野ソロパート”って書いてあって、“これ、やばいな”ってあの人は思ったらしい」と語る。
大野には腹の中で“辞めよう”という意志がありつつ、大ごととは知らずにレコーディングに参加したところ、自分が重責を担っていることに困惑したようだ。“このままだと、辞めるに辞められなくなりそうだ…”とどこかで感じたのだろうか。
松本によると「(大野は)レコーディングは『来ちゃったから、やる』って言って、やったんですけど。そこから2週間ぐらい、携帯も家の電話も全部出なかったらしい」とのこと。
ジャニーズJr.ということで、誰しもCDデビューを夢に描いているのかと思われがちだが、Jr.として芸能界の厳しさを知りつつ年齢的にも多感な時期であるため、夢いっぱいの物語というわけにはいかないらしい。大野は二週間ばかり音信不通になるという強硬手段に出て訴えたようだが、最終的には流れに身を任せて嵐に加わるということになったようだ。
デビュー会見時に辞めたかった櫻井と二宮
嵐といえば99年にハワイのクルーズ船でおこなった結成会見が印象的だが、その船上で“どうして、こうなっちゃったのかなぁ…”というメンバーは大野の他にもう二人いたという。
松本は「ハワイで結成会見するんですけど、そのときのハワイ行ってる5人中3人が辞めたいんですよ。リーダーと櫻井、二宮。3人が辞めたかったんです」と続けた。
松本によると「櫻井は“これぐらいまでやったら、いいかな”と思ってて。大学に上がるタイミングかなんかだったから、“もう、ここで辞めようかな”と思ってて」、「ニノは“海外行きたい”って言ってて」とのことで、学業に専念したい櫻井と、世界を見たいという二宮はジャニーズとしての活動に否定的だったようだ。
ハワイのクルーズ船の上で発足した“嵐”という“乗り掛かった船”に最終的には身を任せることになった5人。現在、その航海が国民の関心事になっていることは、ご存知の通りである。
記事提供元:ググットニュース
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コメント
コメント一覧 (6)
大好きです(^-^)
大野さんと櫻井君は社長に辞めるって言ってあったんじゃなかったっけ?ニノもだっけ?
大野さん二回目だしね
ニノ自身の夢はかなわなくて残念だったけど、ファンとしてはニノが嵐のメンバーになってくれてすごく嬉しいです。
リーダーも翔くんもニノも、たしか99年の年明け頃には「(今年で)事務所を辞める。」とジャニーさんには伝えた上で活動してたんだよね。
リーダーは、ダンスを一通り極めた(自分の満足まで達した)事で続ける欲も無くなり、お仕事の関係者に"イラスト系の仕事で働き口ないか"って聞いて回って相談しながら就活をしてた。(働き先決まった時点で即辞める予定で動いてた)
翔くんは、ホントは中高在学時に留学をしたかったがJr.の仕事があるので断念。
学業優先で仕事してたので一部Jr.側の子にも学校の子にも"どっち付かず"な目を向けられていた為、中途半端な時期に辞めるのは避け区切りのよい高3一杯にして(辞めた後)大学では断念した留学も考えていたそう。一般学生に戻るつもりでいた。※Jr.期は学校の成績が落ちれば即辞めさせられる条件下活動。
ニノは、前の方が書いてる通り、表に立って仕事をした事で裏方さんの方の仕事に興味を持ち、自分も演出とか裏方で活躍したいとの思いで"裏方の勉強"の為の留学を考えていて、そっちのが自分に合ってると思ってたそう。
一方、相葉ちゃんも松潤も"ゆくゆくはデビューしたい!"という思いでJr.活動をしていたので、嵐はまさに両極端な人たちで結成されたんだよね(笑)
彼らが自作歌詞に刻んだ"不協和音"ってのはこういう部分も含めてだったのかも。
今、心から笑い合える5人、素敵だね。
ちなみに、辞める組メンバーは最初はバレーボール終わるまでの一定期間限定のユニットデビューと思ってたそうです。